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佐賀地方裁判所唐津支部 昭和46年(ワ)47号 判決

原告

塚本スミ子

ほか三名

被告

篠原申夫

主文

被告は、原告スミ子に対し六四万四、〇二九円、原告順子に対し八九万八、〇五八円、原告清見、同キクヨに対し各一一万二、五〇〇円、及び右各金員に対する昭和四三年一一月四日以降各完済迄年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告等の連帯負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮にこれを執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告は、原告スミ子に対し二七〇万六、〇〇〇円、原告順子に対し三二一万二、〇〇〇円、原告清見及び同キクヨに対し各四〇万円、並びに右各金員に対する昭和四三年一一月四日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、及び仮執行の宣言を求め、

請求の原因として、

一  被告は、昭和四三年一一月三日午後九時三〇分頃、無免許で、且つ、飲酒のうえ、佐賀県東松浦郡相知町大字久保五一九番地先の東西に通ずる国道を、軽四輪貨物自動車(以下単に被告車という。)を運転し、時速約五〇キロメートルで西進したが、折柄路上に霧がかかり、前方の見透しが不十分な状態で、危険の発生が容易に予測されたのであるから、自動車の運転者としては、特に進路前方及び左右の注視をすると共に、速度をゆるめて進行し、もつて、事故の発生を未然に防止する注意義務があるのに、これを怠り、漫然前記速度で進行した過失により、訴外塚本真が、通行車両のきれめをみて、同道路の南側から北側に歩行横断するのに気づくのが遅れ、約七メートルの至近距離に至つて始めてこれを発見し、とつさに右に転把すると共に、急ブレーキを踏んだが間に合わず、被告車を同人に衝突させ、よつて、同人に、加療約六ケ月以上を要する右大腿骨、右脛骨、右腓骨骨折、頭頂部挫創及び打撲傷、左膝蓋部、左足背部挫創の傷害を負わせ、これがため同人をして昭和四五年六月一七日死亡するに至らせた。

二  被告は被告車の保有者である。よつて、被告は真の傷害及び死亡による損害について損害賠償義務がある。

三  損害額は次のとおりである。

1  真の損害五七一万八、四二〇円

(一)  入院雑費一一万八、〇〇〇円

真は前記傷害により五九〇日間入院治療を必要とし、その間一日二〇〇円の割合による入院雑費を必要とした。

(二)  付添看護費四三万八、〇〇〇円

右入院期間中三六五日間は付添看護を要し、訴外田中ソデ及び原告スミ子がこれに当つた。一日一、二〇〇円の割合によつて計算すると右金額となる。

(三)(1)  入院期間中休業損害四八万九、七〇〇円

真は、事故前たまたま失対人夫として稼働していたため、その収入は低額であつたが、かかる場合これを基準としてその損害を計算すべきではなく、傷害乃至死亡によつて喪つた労働能力自体を損害となし、これを評価してなすべきである。この見地からすれば、真の受傷乃至死亡による損害評価の基準としての収入月額は、二万五、〇〇〇円程度となすのが相当である。このことは、政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準が、死亡による逸失利益算定につき、有職者で現実収入額の立証が可能な者の場合に、現実収入額と別表に定める年令別平均給与額のいずれか高い額を基準としていることによつても裏付けられる。真は死亡当時三四才の男子であつたから、この基準に従えば、昭和四三年において、給与月額七万五、二〇〇円(うち生活費一万五、七〇〇円)となる。これに比して前記二万五、〇〇〇円は極めて控え目であり、妥当な額である。この額に基づけば、前記入院期間中の休業損害額は四八万九、七〇〇円となる。

(2)  死亡による逸失利益三一七万三、二二〇円

真は、昭和一一年三月一〇日生の健康な男子で、本件事故がなければ、平均余命の範囲で、なお、二九年間稼働する能力を有していたところ、本件事故に因つて死亡し、その労働能力の全部を喪い、損害を被つた。その評価は前記月額二万五、〇〇〇円から生活費を控除した金額を基準とし、その二九年分として評価すべく、その生活費はその四割を出ないものと認められるから、これを控除すると一万五、〇〇〇円となり、年額一八万円となる。而して、これから、ホフマン式計算方法により、民事法定利率である年五分の割合による中間利息を控除して集計し、逸失利益の現価を求めると三一七万三、二二〇円となる。

(四)  慰藉料二〇〇万円

真は、妻子と共に円満幸福な家庭生活を営んでいたところ、本件事故によつて重傷を被り、長期間入院し、数回に亘つて手術を受け、終には妻子を残して死亡するに至つた。これが慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(五)  以上合計六二一万八、九二〇円となるところ真は、その填補として被告より五〇万〇、五〇〇円の支払を受けたので、これを差引くと残額は五七一万八、四二〇円となる。

2  原告スミ子の慰藉料二〇〇万円、原告順子の慰藉料一〇〇万円、原告清見、同キクヨの慰藉料各五〇万円

原告スミ子は、真の妻、原告順子は真の長女、原告清見、同キクヨは真の父母であり、真の死亡により甚大な精神上の苦痛を受けた。これが慰藉料としては各前記金額が相当である。

四  原告スミ子、同順子は真の死亡により同人を相続し、同人の前記請求権につき、原告スミ子はその三分の一を、原告順子はその三分の二をそれぞれ承継取得した。よつて、原告スミ子、同順子について右承継分と固有分とを併せると、その請求権は原告スミ子分三九〇万六、一四〇円、原告順子分四八一万二、二八〇円となるが、原告らは、前記損害の填補として、自賠保険より三〇〇万円の支払を受け、これを原告スミ子の請求権へ一二〇万円、原告順子の請求権へ一六〇万円、原告清見、同キクヨの請求権へ各一〇万円充当した。よつて残額は、原告スミ子につき二七〇万六、〇〇〇円、原告順子につき三二一万二、〇〇〇円(以上一、〇〇〇円未満は切捨てる。)、原告清見、同キクヨにつき各四〇万円となる。

五  そこで、被告に対し、原告は二七〇万六、〇〇〇円、原告順子は三二一万二、〇〇〇円、原告清見、及び同キクヨは各四〇万円、並びに右各金員に対する本件不法行為の日の翌日である昭和四三年一一月四日以降完済迄民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるために本訴請求に及ぶ次第である。

と陳述し、

被告の抗弁事実を否認すると述べた。〔証拠関係略〕

被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、

答弁として、

請求原因一中、本件事故と真の死亡との間の因果関係を除くその余の事実、同二中、被告が被告車の保有者である事実、同三中、真が、その損害の填補として原告から五〇万〇、五〇〇円の支払を受けた事実、同四中、原告等が、本件損害の填補として自賠責保険から三〇〇万円の支払を受け、その主張のとおり充当した事実を認める。その余の請求原因事実を否認すると述べ、

抗弁として、

被告は、先行車両に極く近接して追従していたところ、真は被告車と先行車との間を通つて道路を横断しようとして、突然道路南側より被告の直前に走つて飛出して来て被告車に衝突受傷したものである。道路交通法第一三条第一項によれば、歩行者は車両等の直前又は直後で道路を横断することを禁止されており、且つ、当時は夜間で、霧がかかつていて車両運転者から歩行者を発見することは困難な状態にあつたのであるから、歩行者としても横断に当つては車両の安全に充分注意し、いやしくも進行中の車両の直前、直後に、然も走つて飛出すという如き自殺行為にも等しいような危険な行動に出ることは厳に慎しむべきであつた。然るに、これに反して前記の如き行動に出た真には、重大な過失のあつたことは明らかであつて、賠償額の算定に当つて、これを斟酌すべきである。

と陳述した。〔証拠関係略〕

理由

一  請求原因一中、事故と真の死亡との間の因果関係を除くその余の事実、及び被告が被告車の保有者である事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  よつて、事故と真の死亡との間の因果関係について判断する。

〔証拠略〕を総合すると次の事実を認めることができる。

本件事故において、真は、先ず、被告車のフロントバンパーで右下腿を、フロントグリル辺で右大腿を衝撃され、続いて、身体をボンネツト上にはね上げられ、その際、フロントウインド枠で頭部を打ち、次の瞬間コンクリート舗装道路上に落下した。右衝撃はいずれも極めて強度なもので、フロントバンパー、及びフロントウインド枠は、いずれもその衝突部がくぼみ、フロントガラス左半分が破砕する程であつたし、以上によつて生じた右脛骨、右腓骨の各粉砕骨折、大腿骨骨折は極めてひどいものであり、左頭頂部には、長さ約五センチメートル、深さ骨膜に達する多開創、左膝蓋部には長さ約一〇センチメートルの骨面の露出する挫創があり、頭部の打撲は極めて強度なものと認められた。真は、事故後直ちにもよりの病院に運ばれたが、事故後三日目の昭和四三年一一月五日唐津市所在の関外科医院に運ばれた。その際において、なお、意識は不明瞭であり、体温三八度、顔面蒼白、頻脈、体動により撃痛を訴えた。関医院では、同日創傷に対する処置をなすと共に、骨折部の副木固定をなし、全身症状の軽快をまつたが、頭痛を訴えたため、同月七日脊髄穿刺を行い脊髄液を排液した。脊髄液には異常はなかつた。同月一三日全身症状が軽快したため、脛骨、腓骨の骨折部について、キユンチユアー髄内固定術、メタル固定術を行つた。手術創の経過良好で、骨折部も完全癒合したので、昭和四四年一月五日髄内固定釘、及びメタルシーネの除去手術を行つた。その後右大腿下部より膝蓋部まで強直位を呈したため、同年二月二六日手術を行つた。その経過良好で同年五月一二日から歩行練習を開始し、院内を歩行した。頭部の創傷は瘢痕を残して全治したが、軽度の言語障害があつたので、同年九月精神科医にて脳波検査を受けたが、脳波に異常はなかつた。その際、軽度の吃音があること、及び領解が余り良くないことが認められたが、事故との関係は明らかにされなかつた。同月一〇日現在頑固な不定期の頭痛、軽度の跛行、右大腿部の外転位が認められ、又、家族に不眠を訴え、夏期でも窓を開けると寒いと言つたりしていた。爾後も入院のまま歩行練習、及び膝関節の屈伸練習を続行していたが、昭和四五年六月近く退院の予定のところ、同月一七日朝真が臥床のまま既に死亡しているのが発見された。死亡時刻は、同日午前三時頃と推定された。死体解剖は行われなかつたが、関医師の死体検案では外部的に特別の異変は発見されず、結局、死因は本件事故を原因とする頭蓋内出血を含めた頭蓋内の何らかの重大な変化と診断された。真は、昭和一一年三月一〇日生の男子で生来健康で、入院中も血圧は正常であり、心臓に異常のあることを示す所見もなく、前記頭痛、言語障害乃至吃音、領解稍不良、不眠及び温寒に対する皮膚感覚異常の外には、異常所見はなかつた。以上のとおり認定することができ、右認定に反する証拠はない。

右事実、及び〔証拠略〕を綜合すれば次のとおり認められる。本件では、関医院の診療録の記載が不十分であり、医学的資料に乏しく、判断が困難であるが、真の死因を(イ)脳損傷乃至これに基因する致死的変化と(ロ)それ以外のものに分けて考察すれば、先ず、右(ロ)として、(A)心臓疾患特に心筋梗塞、及び原因不明の急死(所謂ポツクリ病)、(B)解離性大動脈瘤、特発性心筋炎、肺硬塞、胃潰瘍の致死的出血等をはじめ急死をあげることができる。右(ロ)、(B)の場合には、大した前駆症状なしに突然起こることもあるが、普通は一定期間何らかの症状を呈することが多い。従つて、本件の如く、死亡前相当期間入院して医師の観察下にあつた時には、その前駆症状を医師が気づく可能性が強いところ、それがなかつたことから右(ロ)、(B)の可能性は少ない。右(ロ)、(A)のうち前者については、心電図その他の検査で診断可能であるが、中には検査を行なつても分らないことがあり、本件でも一応可能性を考えなければならないが、年令的にみるとやや若過ぎるように思われ、可能性が少ない。所謂ポツクリ病は、青年男子に多く、何らの前駆症状なしに突然起こるもので、予め検査を行なつてもその発症を予知することは始ど不可能であり、本件のように夜間起こり易い点からみても、その可能性は否定出来ないが、只ポツクリ病は他の凡てを否定した後に考えるのが相当である。右(イ)についてみると、一般に頻度の高いものとしては、先ず、高血圧性の脳出血があげられるが、血圧に異常のなかつたこと、及び年令の点からみてその可能性は少く、これを否定してよい。又、動脈硬化による脳軟化も年令的にみて可能性は少ない。次に、脳栓塞による急死が考えられるが、これは心臓の弁膜症等のためそこに生じた栓子が脳へ運ばれて脳血管を塞ぐといつたこと等によるものであるが、心臓その他に異常があつたとは認められないから、脳栓塞の可能性は少ないと考えられる。次に、脳腫瘍であるが、それがあつたとすれば、頭痛、めまい、嘔吐、視野狭窄、或は神経学的症状等が漸次増悪して行く筈であるが、本件でこれらの症状があつたとは認められないから、脳腫瘍の可能性は少ない。ところで、本件では事故の情況、及び骨折、創傷が極めて酷いことから、頭部打撲は致命的といつてよい程であつたと考えられる。従つて、真が従前持

つていた動脈瘤や動脈異常が、受傷数百日後になつて破裂した可能性は少ない。何故ならば、若し、右の様な疾患があつたとすれば、受傷時に破れる可能性の方が大きいからである。一方、頭部打撲によつて生じた硬膜下か硬膜外かの血腫が、受傷後一旦喪失した意識も回復し数百日を経過した後に、急に悪化して死亡することがありうるし、又頭部打撲によつて脳自体が受けた損傷によつて生じた脳循環障害が一進一退して長期に亘り、或る時期急激に悪化して死亡することもありうるところ、本件では、前記の如く頭部打撲が始ど致命的といえる程度であつたこと、受傷後或る期間意識障害があり、その回復後も死亡時迄、受傷に起因するとみられる頭痛、不眠、温寒に対する皮膚感覚の異常があつたこと、必ずしも受傷との因果関係は判明しなかつたが受傷後軽度の言語障害のあつたこと等前段認定の諸事実に鑑みると、真の死因は、本件事故による頭部外傷に基づく何らかの頭蓋内の致死的変化である可能性が大であり、他の想定しうる死因は、いずれもこれを否定しうるか、否定しえなくても、可能性が少ないかであることを考えると、結局、真の死因は、本件事故による頭部外傷に基づく何らかの頭蓋内の致死的変化であると推認するのが相当であり、その場合硬膜下血腫乃至硬膜外血腫(特に硬膜下血腫)、或は脳循環障害を伴う脳損傷が最も考えられ易い。以上のように認定することができ、右認定に反する証拠はない。そうすると、真の死亡は本件事故によつて生じたものと認められる。

三  してみると、被告は真の傷害、及び死亡による一切の損害を賠償する責任があるといわなければならない。

四  損害額

1  真の損害四〇九万七、一六二円

(一)  入院雑費一一万八、〇〇〇円

真が、少くとも五九〇日間入院治療を受けたことは前認定のとおりであるが、原告のような症状の患者が入院期間中一日平均二〇〇円程度の雑費の支出を要することは、公知の事実である。

右割合による入院期間中の雑費総額は前記金額となる。

(二)  付添看護費一五万二、〇〇〇円

〔証拠略〕によると、真の入院期間中、最初一年間原告スミ子、又はその母田中ソデにおいて付添看護をしたことが認められ、〔証拠略〕によると、少くとも、そのうち一九〇日間は、病状のうえから右付添を必要としたことを認めることができる。尤も、同号証には、事故後一年間付添を必要とした旨記載があるが、昭和四四年五月一二日には歩行練習を始め、院内の歩行が可能となつたことは前認定のとおりであり、この事実に徴すると同号証は直ちに採用することができない。而して、右の如き近親の付添の場合、当時の付添看護料としては一日八〇〇円を相当と認める。これによれば、本件事故と相当因果関係のある付添看護料は一五万二、〇〇〇円となる。

(三)(1)  入院期間中休業損害三八万八、五四一円

〔証拠略〕によれば次の事実を認めることができる。即ち、真は、所謂失対人夫として、昭和三五年来佐賀県営失業対策事業に就労していた。同事業では予算の制約上一人当り月二二日しか雇傭しないため、就労の意欲のある労務者には年間平均月三・五日(毎月の日数から休日を除き、更にこれから二二日を差引いた日数で、月によつて異なる。)分の失業保険金が支給された。真の昭和四三年四月から一〇月迄の七ケ月間の各月の就労日数は、六月が一三日である外は、凡て二一日乃至二二日で、右七ケ月間の月平均就労日数は二〇・三日であり、同年一一月当時の一日分の賃金は七一五円であつた。従つて、事故当時の真の就労による一月当り賃金は一万四、五一四円であつた。又、真は、右就労賃金の外に、盆の手当として同年八月九、六六五円の支給を受け、同年一二月には、事故の翌日以降就労していなかつたが、なお、暮の手当として、二万〇、四四二円の支給を受けた。右手当の年間の合計は三万〇、一〇七円であり、一月当りの金額は、二、五〇八円であつた。真は、失対人夫として稼働する外、うなぎ、かにを採つて売り、幾許かの収入をあげ家計の足しにしていたが、その金額は明らかでない。以上のとおり認定することができる。右認定に反する証拠はない。而して、当時の真の日雇労務者としての失業保険金額が一日五〇〇円であることは、失業保険法の規定によつて明瞭である。そうすると、真の月収は、前記一万四、五一四円、二、五〇八円と三・五日分の失業保険金額一、七五〇円との合計一万八、七七二円にうなぎ、かに採りの内職による若干を加えたものと認められ)少くとも二万円(年収二四万円、日額六五七円)はあつたものと認めるが相当である。右月収の割合による休業日数一年七ケ月と一三日(昭和四三年一一月四日より昭和四五年六月一六日迄)分の休業損害は、三八万八、五四一円となる。

(2)  死亡による逸失利益二五三万八、六二一円

真が昭和一一年三月一〇日生の健康な男子であつたことは、前認定のとおりであるから、本件事故がなければ、平均余命の範囲内で、なお、二九年間稼働し、前段同額の収入をあげえた筈のところ、本件事故による死亡により、これを喪つた。その生活費は、前認定の諸事実によれば、収入の四割程度と推認されるので、これを控除した月額一万二、〇〇〇円から、ホフマン式計算方法により、民事法定利率である年五分の割合による中間利息を控除して集計し、逸失利益の現価を求めると二五三万八、六二一円となる。

(3)  ところで、原告は、傷害乃至死亡のため生じた稼働能力の喪失を損害となすべく、現実の収入が低い場合は相当額の収入があるものとして損害を評価すべき旨を主張しているが、不法行為による消極的損害は、稼働能力の喪失のため、それがなければ取得し得た筈の利益を喪失することであり、原則として事故時の現実の収入を基礎となすべきものと解するから、右主張は採用しない。

(四)  慰藉料九〇万円

前認定の真の傷害の部位、程度、同人の治療状況その他諸般の事情に鑑みると、同人が受傷から死亡に至る迄甚大な精神的苦痛を受けたことが明らかであり、これが慰藉料としては九〇万円を相当と認める。

2  原告スミ子の慰藉料一〇〇万円、原告順子の慰藉料六〇万円、原告清見、同キクヨの慰藉料各二五万円〔証拠略〕によると、原告スミ子は昭和三五年真と婚姻し、昭和四一年一二月三〇日原告順子をもうけ、親子三人真の所有家屋で円満な家庭を営んでいた者であり、原告清見は真の父親で真と別居生活していた者であり、原告キクヨは真の母親で原告清見と離婚後他に再婚している者であることを認めることができ、いずれも、真の死亡によつて甚大な精神的苦痛を受けたことは自明である。これが慰藉料としては各前記金額をもつて相当と認める。

五  ここで、過失相殺の抗弁について判断する。

前掲争いのない事実に、〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。本件事故現場は、東西に通ずる国道で、歩車道の区別がなく、幅員約六・八〇メートルのコンクリート舗装道路であり、北側において、幅員約六・五〇メートルの県道と交差し、三差路を形成している。現場附近国道の北側には二、三軒の人家がある。南側は道路敷より一メートル低い水田である。道路は平坦で、本件事故現場の西方約二〇メートルの箇所で南に向けて急カーブしているが、事故現場から東方に約二〇〇メートル、西方に約五〇メートル迄は見通すことができる。附近に夜間の照明はない。当夜は唐津市内の神社の祭礼のため自動車の交通は頻繁であつた。事故現場はバスの停留所となつている。被告は、運転免許を有しないのに、被告車(長さ二・九五メートル、幅員一・二五メートル)を所有し、日常これを乗り廻していたが、事故当日も被告車を運転して、唐津市内に赴き、知人宅で祭礼の接待を受け、相当量飲酒し、午後九時過頃、呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転をすることができない状態であつたのに、敢えて被告車を運転し、時速五〇キロメートル位で本件道路を西進して事故現場に差しかかつたが、自動車運転者としては、絶えず、意識を緊張して前方を注視し、歩行者の有無、その動静を確認して進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、注意散漫となつたまま、進行した過失により、折から事故現場道路南側から北側に歩行横断していた真を発見することが遅れ、至近距離に迫つてこれを発見し、僅かに右に転把したが、道路中央部附近で被告車左前端を真に撃突せしめ、これをボンネツト上にはね上げて進行し、次の瞬間これを路上に落下せしめ、なお、若干進行して停車した。同夜午後一一時頃警察官の実況見分の際、被告は指示説明をしたが、相当酩酊しており、足もとがふらつき、言語にも乱れがある程であつた。一方、真は、唐津市内から事故現場附近にある自宅に帰るためバスに乗り、事故現場のバス停留所で下車し、本件事故現場道路を南から北に歩行横断する機を窺つたが、折柄停車したバスの後方には同国道を西進する自動車が引続き一旦停車していたため、道路南端に立ち止まつたまま、バスの発車後その後方にたまつていた自動車をやりすごし、更に、西進してくる車両のきれ目を待ち、東方から進行してくる被告車を認めた。歩行横断者としては、このような場合自動車との距離、その速力等を観察し、安全を確認して横断を開始すべきであるのに、注意を怠り、被告車の近接する迄余裕があるものと軽信して、横断を開始したため、前記の如く本件事故が起こつた。以上のように認定することができる。〔証拠略〕には、被告は、約一五乃至二五メートルの車間距離をおいて、四輪車に追従進行中、前車が本件事故現場を通過するや否や、その車後に真が飛出し、被告車の道路前方を小走りで横断し始めたため、衝突を避けることができなかつたとの趣旨の記載があるが、前認定の被告の酩酊の程度、〔証拠略〕に徴し、これを信用することができない。他に右認定に反する証拠はない。以上認定の事実に鑑みると、双方の過失の本件事故に対する寄与の割合は、真の一・五に対し被告の八・五とみるのが相当である。よつて、その割合で過失相殺をすると、前認定の損害中、被告に賠償責任のあるものは、真の分につき三四八万二、五八七円、原告スミ子の分につき八五万円、原告順子の分につき五一万円、原告清見、同キクヨの分につき各二一万二、五〇〇円となる。

六  然るところ、真の損害の填補として被告から五〇万〇、五〇〇円が支払われたことは当事者間に争いがないから、残額は二九八万二、〇八七円となるが、原告スミ子、同順子は真の死亡により同人を相続し、同人の右請求権につき、原告スミ子はその三分の一である九九万四、〇二九円を、原告順子はその三分の二である一九八万八、〇五八円をそれぞれ承継取得したものと認められ、右金額に各固有の損害を併せると、原告スミ子につき一八四万四、〇二九円、原告順子につき二四九万八、〇五八円となるところ、原告等が、本件損害の填補として自賠責保険より三〇〇万円の支払を受け、原告スミ子の分に一二〇万円、原告順子の分に一六〇万円、原告清見、同キクヨの分に各一〇万円を充当したことは当事者間に争いがないから、これを差引くと、原告等の各請求権は、原告スミ子の分が六四万四、〇二九円、原告順子の分が八九万八、〇五八円、原告清見、同キクヨの分が各一一万二、五〇〇円となる。

七  よつて、原告等の請求は、被告に対し、原告スミ子において六四万四、〇二九円、原告順子において八九万八、〇五八円、原告清見、同キクヨにおいて各一一万二、五〇〇円と右各金員に対する本件不法行為の日の翌日である昭和四三年一一月四日以降完済迄民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、民事訴訟法第九二条、第九三条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡田安雄)

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